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コメント

1. No Title

悪の定義を「自分が不快感に感じる事。」としているうちはそうだろうね。
 世間一般では違う。悪は世間、社会、常識的にも、他人から見ても「悪い事」。
 ちなみに僕にはいい事も悪い事も判断できない。自分にとっていい事だけを考える利己主義。ただし、自分にとって。という定義は、自分の細胞。自分の遺伝子にとっても。という意味。 ちなみに「いい」は「生き延びれる」に近い「いい」。

まぁ。わけわからんだろうね。

Re:No Title

てらもっちさん
コメントありがとうございます。

自分にとって不快なことが「悪いこと」という定義は使っています。

私は、「悪意」というものがはっきりとした意志としての形、例えば脳に「悪意」をつかさどるような成分が分泌されるような、そういう物体ではなくても実体のあるものとして教育されてきているように思うんです。
しかし、「イライラしていたから」「魔がさしただけ。本当は悪意はなかった」「お腹が空いていた」「いじめるのはその子が好きだから」「単なる思い込みで」「一時的に頭がおかしくなっていただけ」
などと、世間はどんな悪事にも「言い訳」をつけます。
「悪意」に実体があるのなら「言い訳」などで誤魔化されるはずがないと思うんです。「悪意」がはっきりしたものならば。
しかし世間は「悪意」がさも実体があるかのように扱うし一方で「言い訳」を大量にこさえる。
どんな悪事にでもそれが「悪意」でない言い訳がまかり通るなら「悪意」などないのではないか、と思ったんです。

自分にとって「いい」こと、というものは、自分に快を与えてくれることと、自分の存在を保ってくれること、がありますよね。
他人を助けることは、自分の遺伝子をつなぐ助けになりますね。
利他行為をするためのプログラムが遺伝子に組み込まれているってのを、どっかで読んだこともあります。ちゃんとした本ではありませんが。
遺伝子は、その種族全体が、できるだけ繁栄するように組まれている。
人間全体が繁栄するように行動するならそれは自分の遺伝子の指令に従っているのかもしれない。人間全体の繁栄は、人間の個の繁栄につながりますね。
解釈が間違っていたらすいません。

2. No Title

いろいろ考えてくれたみたいだね。
ありがとう。解釈もあっている。

自分にとって不快な事が悪意だったら、利害衝突はおきて当たり前だよね。自分と他人は利害は違うのは当たり前である以上。


遺伝子は種族全体を生かす為に利他行為をするわけじゃない。もしそうであれば「進化」は発生しない。
逆で、遺伝子は個を生かすため、集団である利益を得る為に利他行為を進化させた。利他行為をする人類が生き残ってきた。
 社会一般で言われている「悪意」とその「言い訳」についての鈴鹿さんの意見に同意するけれど、「悪」は無いんじゃなくてそれぞれの人で違うし、世間一般では一般化された概念がある。
 その社会悪に同意する必要は無い。だから僕は悪は定義できないという立場をとっている。

というわけで、「正義」と同様に「悪」は定義できない。病的な連続殺人犯にとっては殺人は「悪」ではない。快感だから殺す。

友人を守る為に人を殺す事は「悪」かな?
僕の答えは「わからない。」


その人が赤ん坊だったら、その友人が、裏で麻薬を密輸していたら、その人が将来、100万人の命を救う運命だったら。

ま、いろいろな意見があっていいんじゃない?

Re:No Title

てらもっちさん
コメントありがとうございます。

適者生存が先にあって、進化に生き残れた原因としての利他行為ということでしょうか。
卵が先か鶏が先かっていう印象もありますけど、先に利他行為があって、それは人類が生き残るため、っていうより納得しやすいですね。「悪」は感じても「悪意」を感じたことがない。定義の問題だとは思いますが、「これこれこうだからそれは悪意ではない」と言われると強制的に納得させられる自分がいる。
「悪」か「正義」かなんて定義できないから、自分で思う、考える、区別したければ区別しなくてはならないでしょうね。「一般的にいってそれは悪だから」といったって、個人間では悪ではないかもしれないし。
人間社会という組織の中で、組織の秩序を乱す存在は「悪」。たった一人を傷つけるなら「悪」。
どっちも、見方によっては「悪」ではないかもしれません。