恐怖感とは

小学生の頃まではそこらへんの感覚は割と「まとも」だったような気がする。

中学の時は毎日死にたかった。

高校を卒業したら、死にたくもなくなって淡々と生きていた。


薬漬けから脱したらいつの間にか、「死に対する恐怖感が欠如してるのに、うっかりで死なないように細心の注意を常に払って生きている人間」になってた。

恐怖感は、何に対しても欠如してると感じる。
恐怖に似た感覚はたまにあるけど、「ストレスによる不快感で胃が重い」というくらいの感覚でしかない。
恐らく、小学生の時だったらきちんと恐怖感を感じられている場面だろうと思う。


恐怖感というものの発生と作用についてたまに考える。

もし恐怖感が生まれた時からなかったなら、何が危険なのかを察知する能力がないわけだから、命の危険にさらされるリスクが大きいだろう。
恐怖感とは、危険を回避するために、頭で考えるより先に体を動かすための機能なんじゃないかと思っている。


では、恐怖感で体が固まるのはなぜなのかと考えた。

体が固まったなら、外敵の攻撃性を削ぐ(攻撃してこないものに攻撃しにくいってのは少しはあるかもしれない)可能性はあるにしても逃げるのに支障があってむしろ死ぬ確率が高まる。


ただ、「危険が迫ると体が固まる」という経験を繰り返すことで、「体が固まる」不快感を生き物は覚えることができるだろう。
また、体が固まることで死のリスクが高まり、学習はより強固になる。


そう考えたら、
「危険を感じて体が固まる」現象と、
「恐怖感」の、
どちらが先に人間に備わっているのか、もしくは同時に備わっているのか、と考えた。

もしかしたら、危険を感じて体が固まるという現象による不快感の繰り返しから「恐怖感」を学習し始め、成長することによって「死」というものに考えをめぐらせることで、「恐怖感」というものができあがっていくのではないか。

そんなことを考えてた。


何百年何千年と昔だったら、夜出歩く時に電気の明かりはなかった。
人は、集まっていなければ外敵に殺される存在だったのではないか。
だから人は群れるのだろうと思う。

知能や理性や科学で群れる必要がなくなっても、人は動物であり続けているのだと思う。

群れを少しでも乱す存在や、自分の群れを脅かす群れを「理性で排除」しているようで、「差別」するんじゃないだろうか。


何が理性で何が感情で何が本能かとよく考えたりするのだけど、それらを分けようとする努力がおかしいような気がしてきた今日この頃。

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2015/12/26 頭の中はパラダイス Comment(0)

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