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トンネルを抜けたら現実だった

コメント

1. 無題

幸福論と善悪論ってかなりつながったところがあると思うんだけど、自分はそこにはふれず、「楽しい。」と思えるかどうかを基準にしている。「楽しい。と思える状態。」が幸福に近い。

ただ、「いい」とか「うれしい。」という言葉に比べて「楽しい。」ってなんだか複雑でカオスな感じが漂うよね。そこが好きだし、「楽しい」以上の意味はあまり分解して突き詰めない。自己満足の世界。

そして時間軸。死ぬときに振り返ったときに「いい人生だった。楽しい人生だった。」と思えるように生きたい。トータルで判断。

鈴鹿さんの過去の「不幸」「幸福」については判断しかねるけど、ま、前を向いてあるこう。そっちのほうが生産的だ。

Re:無題

てらもっちさん
コメントありがとうございます。

「いい人生を送りたい」だと変に客観が入って、自分個人の主観としての「幸せ」を突き詰めた感じがしないし「嬉しい人生を送りたい」はなんか言葉として違和感があり、「楽しい人生を送りたい」=「幸せな人生」っていう言葉にして当てはめるとしっくりくるな、と思いました。
「楽しい」は個人の感情だけど、それでも周りが楽しければ自分も楽しいし。

毎日「不幸だ不幸だ」と思っていても日によっては、または時間によっては「私は幸せだ」と思える瞬間があって、その時間が何日に一回あるか、一日に何時間あるか、が問題じゃなくて、それは人生の時間の割合という相対的なものじゃなくて、絶対的(?)っぽいものなのかな、とか思いました。
一日に五分間しか快い時間がなくても、幸せだと思えれば幸せなのかな、と。
人生が終わる時に「やり切った感」が欲しいです。結果に恵まれなかったとしても「やり切った」という感覚が一番欲しい。

2. 無題

なんだよぅ…泣かせんなよぅ(ノ_・。) うぅ。

Re:無題

ゆう。さん
コメントありがとうございます。

いじらしいを通り越して、最近流行っているような意味でない「いたいたしさ」がすごい文章になっちゃったな、と思いました。
やせ我慢だとはしっかり自覚していますが、当時は本当にそれが普通だし、周りの人も大抵これくらいのストレスはあるだろうと思っていました。周りが見えなかったのも多少救いだったのかもしれません。
幸不幸は周囲との比較からくる要素が大きいとも、常に感じます。
比較してしまうのは本能的なもののような気がするので、それを否定することなく自覚してコントロールしたいです。

3. 無題

猫の可愛さについてもっと語っていただきたい。

にゃんにゃん!

Re:無題

てらもっちさん
コメントありがとうございます。

顔がペシャってなった感じのにゃんこ様が、時間中しょっちゅう、何か言いたげに「じとー・・ (ーー)」って見つめてきて、全くモデルさん的じゃない顔も超好みだったし、雰囲気が独特で、気にかけてくれてるみたいで、また会いに行きたいです。
私自身が慣れなくて抱っこしなかったんですが、その子は抱っこするとすごく変な声出すらしくて、次回は抱っこしたいです!

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鈴鹿
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女性
職業:
生きること
趣味:
生存
自己紹介:
脳内にドーパミンを作る工房がありすぎてよく砂糖が足りてません。工房のお蔭で生きてて楽しいです。

北海道大好き人間。
道内に潜伏中。

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