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トンネルを抜けたら現実だった

コメント

1. 無題

冷笑と悪意が出ていますね。
いや悪くはないけど。

 根本にある恨みと怒りを意識しておいたほうがいい気がするな。馬鹿にされたくないというプライドも。
 そういった自分自身にあったもの、あるものを意識したほうが君自身の成長につながる。人生や精神のコントロール性もよくなる。

さてさて説教じみたところで、おじちゃんはオネムの時間ですかね。

 今日のケーキのレシピは秘密だけど、夕食にCocosの「牛肉100%ハンバーグとエビグラタン+Aセット」を食べた事を書き記しておこう。

読み込み中・・・

てらもっちさん
コメントありがとうございます。

あの等級の精神障害者が、論理であんな勝ち方したら不気味で仕方ないな、と後で思った。
「どこが悪い(障害)んだ?」と疑問を持ったかどうかは分からないけど、考えだしてたとしたら、あの人の頭の中相当大変なことになってたかも。
等級に関しては、前の主治医が勝手に変な気を使っただけだと思います。なんでも重く書けば患者が喜ぶと思ってるみたい。

コメント見て、これが悪意なのかー、って一旦思ったけど、私はあの人に対して「ざまぁみろ」とは思ってなくて、というかあの人はどうでもよくて、会話で勝ってしまった私自身がとても好き。という感情しか表面的には感じないんです。
別に怒鳴ったわけでも物騒なこと言ったわけでもないのに、物事を動かせた自分が好きなだけで、
結局、相手への怒り恨みは多少はあったとしても、99%がナルシズムの糧となっただけのように感じます。表面上。
責任者として私に責められて、失敗して、その失敗を誤魔化すことに失敗して、何かショックだったのかいきなりいらない譲歩をして(それが一番の失敗だと思う)。そこまで必死なのは部下を思ってるからだな、って、温かい気持ちにすらなりました。
ただ、私が泣き寝入りするかどうかとそれは別問題だったり。
私にとって「なめられない」ってのは、もちろん条件反射としてのプライドもありますが、一番は「自分が不当な扱いをされない」ための防衛です。
現在、プライドだけの問題なら職場を奪っといた方がいい人もいますが(結構前のセクハラじじぃ)、自分が不当な扱いをされないために放置してます。
施設の責任者に対しての怒り、恨み、ってのは自覚が薄いんですが、きっとどっかにはありそうだから研究してみたいです。
プライドは、恐らく変な所にあります。

ってか、
その夕食相当多くないですか...?

2. 無題

この話。まだ考えてます。もう少し考えさせて下さい。まだ整理できていないんだけど、ナルシズムと悪意の関係性について考えてる。多分、悪の定義が個人個人の都合によるのだから、相手のコトを考えないナルシズムは悪意につながりやすいというコトをいいたいのだと思う。
あと悪意と思ったのは当時ではなく、この文章を書いている瞬間の話。
でも、まだ整理中。

読み込み中・・・

てらもっちさん
コメントありがとうございます。

ナルシズムと悪意が近いってのは目からウロコでしたが、確かにそうですね。子供用フィクションなんかのいかにもな悪役も、なんで無意味な悪いことが楽しいのかって考えたら、ナルシズム以外のなにものでもない気がする。
記事のことが悪意だとすると、悪意とは「悪いことをしようとする意思」っていう定義は合ってないことになる。
当時私は悪いことしてないし、しようとも思ってない。(悪意があるとすれば、あるのは当時でなく記事を書いた時点ですが)
記事を書いた時点でも、思い返して喜んでるだけで、悪いことをしようとしているわけでもない。
結果や、しようとすることが悪でなくても、それが悪意だってのはあり得るということですね。面白い。
悪意というものにとても興味があるのでよく考えるのですが、ナルシズムとの関係は思いつかなかったな。

3. なぜかまたもやドイツから

ドイツにいるのはどいつ?


いや。。。言ってみたかっただけ。

さて、悪意とナルシズムの関係については、ネタ本あり。
 「平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学」
 M・スコット・ペック
 草思社文庫

飛行機の中で読み終わったところなんだけど、他の本も読みながらの感想。

先に言っておくけど、謝れとか、反省せい。とかではなくて、本当に悪意の定義についての議論。

悪意というか冷笑というか、僕自身が不快感を感じたのは今、ブログを書いている鈴鹿さんの書き方の部分で、
「まぁ、痛快ではありましたけど。」

「なんか可哀相すぎて気が咎めてくっから。
別に最近はお会いしてないけどさ。」
の部分が一番で。

多分、この部分に相手への蔑視感があり、そこに相手への共感はない。
 で、それがなぜ生まれたかといえば、相手と自分の違いに関する認識と、相手と自分の同一感(同じ人間とか、仲間とか。)の排除がある。
 たぶん悪意というのは、自分が相手に対して不快にさせてやりたい。という直接的な意識だけでなく、相手の利益と自分の利益が相反したときに、相手や全体の都合を考えずに自分の利益を押し通すという意思として生まれると思う。後者は前者を含むよね。

そしてナルシズムというのは強い強い自己利益の絶対化に結びつくところがあって、昔の王政や、ヒトラーや2次大戦前の軍部などにもみられる。人間にはそんなところがあって、善としては、共感。(相手側立場の受け入れ。)悪としては悪意。(なんじゃ、この文章。)

簡単に言えば自分はえらい。えらいから何やってもいい。にナルシズムは結びつきやすい。

少し深く突っ込んだことを言えば、鈴鹿さんがたまに店員さんの言葉に突っ込んでいる話しを書いているときに、それを感じることがある。
(言い換えれば、僕はそんなときに不快感を感じることがある。もちろん全体として読んでいて楽しいのだが。)自分の論理を押し付けている感覚。それが受け入れられなかったときに自分の問題とは考えずに店員側や社会側の問題としかとらえないとき。
 多分、この文章も読んで鈴鹿さんも少し不快感を感じるかもしれない。言い換えれば僕は社会のナルシズムの視点に立ってこのコメントを書いているように見えるかも。

 結局、悪意というのは違いから生まれ、お互いを理解し共感する感覚がなければ、悪にとらえられてしまう。

 もし社会に出て、受け入れられたいのであれば、社会の論理を理解し、自分をまげてでも受け入れなければ、社会からは悪意ととられる可能性がある。
 悪意の話をしているけれど、いい悪いの話ではなくとらえてほしい。
 

Re:なぜかまたもやドイツから

てらもっちさん
コメントありがとうございます。

ネタ本、面白そうです。心理学は多分、初歩の初歩の本を少し読んだだけなので詳しくないのですが、心理学にはとても興味があります。
自分を分析したり周りを見たり、頭がぼんやりしていた時のぼんやりした記憶を分析したり。
そういう、自分の中でぐるぐると自分の研究を常にしてはいますが、心理学の本ってあんまりしっかり読んでなくて。

今回のてらもっちさんのコメントに関しては、私が改めた方がいい、とかじゃなく、視野を広げてくれていると思います。
自分の色んな面を自覚する。自覚して広い視野で自分の態度を決める。
自分の中だけの「客観視もどき」もいいですが、人から言ってもらえるとより客観的になれると思います。その言っている人が私からどう見えて、私がそれをどう感じるかっていうことも含めて。
周囲の素知らぬ顔の人たちはたびたび「それでもあの人には悪気はない」っていう。そんなこと言ったら私に悪気、悪意は皆無です。周囲からも「本当の悪意」を感じたことはない、となる。
なんだか「悪意」に関して頭の中が大分整理できてきました。
私は理由もなく他人を害そうとは思わないから自分には悪意がないのかと思っていましたが、
それが悪行でなくとも、相手への共感なしに自分を押し付けることが悪意、と思うと、大分納得しやすいです。

ジャガイモパラダイスですかね。
いつかまた、ドイツ語をやりたいです。
今はとりあえず英語をなんとかしたい。
てらもっちさんが何語で切り抜けているのかは知りませんが。(でも多分英語なのかな?)

ただいまコメントを受けつけておりません。

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北海道大好き人間。
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