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トンネルを抜けたら現実だった

人生楽しいです

皆さんの卒業文集
たまに半ば面白がって思い出す全く面白くもないことです。

何しろ人生、面白がったりして楽しまないと楽しくないですしね。


小学校の卒業文集に、自分のニックネームを載せる欄がありました。

現物は手元にありませんが。

前の家から救出してある可能性もあるけど、

会話のできる生き物と思われずに人間扱いされなかった時代のものとなかなか向き合うエネルギーが出ないので救出してきたものがどこにあるのか何があるのか割と把握してない。


で、そのニックネームを載せる欄に、私は小学校時代の自分の唯一のニックネームを書いたんですが、

「みんなの意見」で直されてしまいました。

私をいじめる児童が、私を馬鹿にするために使ってた仇名だったからです。

それ以外にニックネームと呼べるものなんて何一つないから当たり前に書いただけなのに、みんなの意見で直された。

どう直されたのかっていうと、○○(私の苗字)さん。

とこうなった。

どこがニックネームやねん。


当時の記憶ってやっぱり薄いので、

いじめの事実関係はぼちぼち覚えてても臨場感ってもんがないんです。

「このまま努力しないとこの母親みたいに亭主から毎日殴られることになるんやぞww」

って笑われたり怒鳴られたり殴られたりの家庭だったんだから教室のモップで百叩きとか上履きが鯉のエサの中に突っ込まれてるとか行事の写真の私の顔に画鋲で穴あけられてるとか、

イージーモードすぎたんでしょうかね。

でも、父親のそういう虐待も臨場感そこまでないから、

年中無感覚になって自分守ってたんかね。

私って健気よね。

28年くらいだぁ~れも認めてくれなかったけども。

虐待を虐待とすら感じないカウンセラーはクライエント自身を全く見ずに褒め称えるの好きだったから語録の中にはあったのかもしれない。

でも「何だってやろうと思えることが凄いのよっ!その意欲が凄いの!」っていう何とかの一つ覚えワンパターン褒めちぎりの印象強すぎてあんまり覚えてないや。

あればっか繰り返されたのって後から考えたら馬鹿にされていたとしか思えないんだよな。


というわけで、卒業文集に載るニックネームなんて当時の私にとっては全く大事なことでもなかったんだけど、

××(伏字)っていうニックネーム自体別に放送禁止用語とかじゃないし、

それ以外にニックネームらしきものなんて持ってなかったし私が書いたら載せりゃいい話なんだけど、

私へのいじめを「なかったこと」にして、

皆さんの思い出を「きれいにして」保存したかったんでしょうね。

当時の私にとっては本当に全く大事じゃなかったし、

私もただの苗字を載せることにそんなに反対はしなかった気がする。


世の中の「きれいなもの」ってこういうことが間々あるんですよね。

あの卒業文集とかアルバム見て思い出に浸れる同級生が優しくないというわけでは全くないと思います。

だって彼らの中では「なかったこと」にしたし、

忘れることは救いであって、その人本人が非情だとか残酷だとか悪意の塊だとかそういうものじゃないと思ってる。

というより、誰を見たって見方を変えれば非情で残酷な悪意の塊にしか見えないのが人間という生き物だと思ってるし、

それは動物が別の動物を食べることとそんなには変わらないように感じる。

罪の大きさ云々ではなくて、

どっちも本能としか捉えてない。


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早く帰るべきなほど疲れた時に却って理性が弱まって帰宅しにくくなって「構ってちゃん」として周囲のお邪魔状態になってたところから割と早く離脱できたので自分を褒めてる。
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