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トンネルを抜けたら現実だった

人生楽しいです

子供として
私が小学校の初めの頃だったか、

ベビーカーを押してる女性が犬も同時に散歩していて、

冗談を言いたくなった私は犬に向かって「可愛いですね~、犬種はなんですか?」と聞き、

続けて幼子を指して「犬種はなんですか?」と言ってしまった。


後で父から怒られたのは言うまでもない。

大変に失礼なことを言った。

だから怒られるのは仕方がないと今でも思う。

父はこう言って怒った。

「あんなことを言ったらぶん殴られたって文句は言えないぞ!」

そう注意しただけだった。

あとは不機嫌を表情で示された。

私は、ぶん殴られても仕方のないことを言ったのだと思った。

失礼だったことは考えればある程度は分かった。

でも、私の発言がどのように失礼だったのか一切説明されなかった。


今考えると、

当時も理解したことだけど失礼だったことはもちろん分かる。

でも、小学校初めの子供がぶん殴られても文句の言えない事なのかと考えてしまう。

子供は未熟だから子供で、間違えるに決まっている。

子供のお母さんに大変不愉快な思いをさせただろうと思うけど、

子供が失言をしやすいということは想像しやすいこと。

ぶん殴りたい、とは思ったかもしれないけど、

そのお母さんは私をぶん殴って当然、なのだろうか。

小学校低学年の、8歳にも満たないような子供が言い間違えたら痣ができるほど殴られても文句が言えないのだろうか。

「ぶん殴る」の父の言い方からして、

「ちょっと小突く」程度のイメージでないことは明白だった。

「前歯折られても文句は言えない」くらいの言い方だった。


まぁ、歯を折られるとお金が絡んで父は大喜びするかもしれないけど。


失敗が許されない。

失敗で死ぬのは私の肉体ではなく、父の中の私の人格評価。

私は、小学校に上がった時期には既に死亡していたのだろうと思う。

だって、私は数々の失敗をした。

幼かったために記憶が薄いけど、

母の勧めで始めたらしいバイオリンの練習を怠った時点ではすでに死んでいた。

だって許されないから。

私のミスで中耳炎になったら更に死んだ。

私がピアノの練習をしなかったから更に死んだ。

空手を習わてもらったのに男子に殴られて殴り返さなかったから更に死んだ。

私が塾に真面目に行かないから更に死んだ。


人間の屑がもっともっと細かく砕かれて、

きっと肉眼では見えないほどの細かい細かい屑になってしまったのだろうと思う。

だって私は幼児の時から屑なんだから。これだけ長期間延々と砕かれたのだから、

肉眼で見えるわけがない。そんなに大きな屑なわけがない。


そのまま風に吹かれて消えなくてよかった


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コメント

1. 無題

よくそんなことまで覚えてるんだな。
僕は小学生頃のことなんて、ほとんど覚えていません。

間違いなくぶん殴られるようなことではないよね。
その前に失敗を許さない態度ってどうして生まれるんだろう。やっぱり負の連鎖なのかな。

読み込み中・・・

てらもっちさん
コメントありがとうございます。

小学校の臨海学校とか修学旅行とかの記憶はほとんどなくて、修学旅行は行ったかどうかすら記憶がないんです。記憶にはないけど、文字データみたいな認識から「行ったかな」と思ってます。
記憶の断片がたまに出てきて、その断片をせっせと集めてしまう性質があります。
断片としてふと思い出すのは私の場合は大体嫌な記憶ばかりなので、嫌な断片だけ溜まっていきます。
「とても好感を持てた人」という記憶ですら「当時の私はまともに会話が成立しなかった。当然向こうは私を当時のままだと思っている」と考えるだけで、素直に「楽しい思い出」だと思えなくなってしまいます。
すりガラスの向こうの記憶なのに、断片だけ鮮やかで、それがことごとく嫌な記憶なので、周りに敵がいなくてもストレスに囲まれて暮らしています。
かなり改善されて現在はとても過ごしやすいですが、振り返ると嫌なことばかりなのは慣れましたが相当な負荷でしょうね。

あと、箇条書きのような事実は空手以外、父が十年以上お気に入りな私の失敗なので、いつまでも繰り返されるから嫌でも覚えます。

父も祖父から失敗は許されなかったようです。
失敗を見つけるとにやにや笑って喜んだって言ってたので、祖父を見習った教育してしまったみたいですが、父には笑ってる自覚なかったみたいなので、表情筋の動きが自分で分からないのかな?と思います。

失敗のたびに徹底的に叱られて育って、そのせいか他人の失敗に寛容でない気分になった自分をよく感じます。
私は、他人の失敗で結構いらだちやすいので、イラついたらイラつきをそぎ落とすように努力してますが、結構気力が必要です。
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