忍者ブログ

トンネルを抜けたら現実だった

人生楽しいです

どんどん忘れていく
薬を大量に処方されていて強烈な副作用に頭がぼんやりしていた頃、

私はよくこんなことを考えてた。


「いま考えていることは、二十分後には恐らく、すっかり忘れているだろう。三時間後には確実に忘れているだろう。
 いま、こんなに一生懸命に考えていたのに、三時間後には忘れているだろうし、その後思い出すことは二度とないだろう」


頭がぼんやりしていた時でも、

その瞬間によっては今とそこまで変わらないくらいに考えられる時もあった。

でも一生懸命に考えても、

副作用からくる発作におびえるだけで頭はそればかりになる。

もちろん発作がくればそれどころじゃない。

誰かに話そうとすれば前置きをしている間に九割は頭の中から消えていく。

書とめようとしても、書いているうちにかなりの割合で忘れていく。

私は呂律が回らなかったし、話すことをまとめるのもとても苦手だった。

会話が成立しない時期だったし、

自分の考えを上手く伝えることなどできない。

それに、当時の私は一方的なマシンガントークしかできなかったから、

私の話を真剣に聞こうとする人はほとんどいなかった。

だから、例え上手くまとめられたとしても、

私の周囲の大部分、もうほぼ全てといっていいほどの人たちが、

私を会話のできる生き物だとすら思っていなかった。

複雑な考え、事柄を私が伝えられるはずもなかった。


書きながらどんどん忘れていくのは不便だった。

今は、思いついたことをノートに書くということがあまりない。

でも当時は、書かなければ確実に忘れるから、

自分なりに重要だと思ったことは、

一見実生活に役に立たなそうなことでもメモをするように心がけていたりした。

でも、書いてる途中で頭の中から零れ落ちていく。

歯がゆかった。


頭がぼんやりしていた時は、

一生懸命考えた、

その時期の私としては珍しく一生懸命に頭を使うことのできた事柄を、

三時間後には全て忘れているし、忘れたらこの先の人生で全くプラスになることのない、

苦しい時間を、考え詰めることで苦しみなく費やせたという意味のみの、

たったそれだけのほとんど無駄な考えのように思っていた。

でも最近は、

その時に一生懸命考えたことがいきているような気がしている。

一生懸命に考えることは自分と向き合うことだった。

内省を深める時間だった。

いつ、どんな瞬間に考えたかは完璧に忘れても、

考えた足跡、その積み重ねは今も残っているような気がしてる。


人間という生き物の性質を、習性を見る、想像するのが好き。

会ったこともない、事情をなんとなく聞いただけの人の心境を想像するのが好き。

知らない人や知っている人のとりがちな行動を想像するのが好き。


心が殻にこもって外に向かなかった時期、

内省ばかりしていた事が人生において役に立つかなんて知らない。

「役に立つ」という基準は割と人が作ったものだったりという感じを受けることもあって、

でも私は自分の人生を、自分の好きな風味で生きていきたいから、

自分の人生が好きになれるのなら、

例え周囲の誰もが関心を示さなかろうが一銭にもならなかろうが、

それは私にとって「役に立った」経験なんだと思う。


いつも訪問ありがとうございます!
なんて規則的な生活になってきたんだ!
と自分を褒めてますが、
今晩あたりゲーム熱が出る気まんまんで嫌な予感。
明日しっかり起きることを考えて、
全力で自分の集中力と戦います。
一日一回クリックして下さると嬉しいですm(^^)m
   ↓

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 最高の人生へ
にほんブログ村

拍手[3回]

PR

コメント

コメントを書く